日本古代史の復元

-佃收著作集-

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著作集

 New H29.7.1発刊 新「日本古代史」(下)

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新たに「日本の古代史」(下)をアップしました。

新「日本の古代史」(上)

紀元前12世紀からの倭人の渡来の経過、天孫降臨、
卑弥呼の邪馬壹国、神武天皇の東征、崇神天皇の渡来、神功皇后の貴国建国などを詳論する

新「日本の古代史」(中)

貴国の後の倭の五王、磐井の乱、物部麁鹿火王権、
俀国(阿毎王権)など主に5,6世紀の日本を支配した王権について詳述する

 

「九州の王権」と年号(その一)〜(その三)の三論文と
「九州年号」の要点をブログにまとめました。

新「日本の古代史」(下)(第2刷)

12の論文が執筆された順に並び、主に推古紀~
斉明・天智・天武紀の7世紀日本の姿を浮き彫りにし、最近の研究成果も収録する

他の本の感想と佃收説

 

歴史は総合的知識体系であり、自然科学を含む様々な分野の知見を必要とする領域です。
最近、歴史を直接の専門にしない方々が既存の歴史学の見解に対して異議を唱える等の本が多く出版されています。
そのような本の中で、作成委員会が特に興味深く読ませていただいた本の感想と、その本の中で提起された問題を解決するために作成委員会が佃收説から学んだことを示します。

新しい「日本史(古代)」の提言(佃收)

歴史の解明は「時間(年代)」と「空間(場所)」の究明である。
「時間」と「空間」を究明するには

1. 論理的であること(根拠を明示すること)
2. 科学的であること(物的証拠を提示すること)

これが「歴史研究」の基本であり、どうしても必要なことであると考えて、研究を続けてきた。

日本古代史の基本的ないくつかの点について、私が得た結論を示し、新しい「日本史(古代)」を提言いたします。既存の日本古代史との違いに最初は驚かれる方もあるかもしれません。じっくり私の本を読んでいただき、科学的・論理的に検討・検証して、史実を求めていただきたいと思います。


  1. 「天孫降臨」は史実である。
    『古事記』に記述されている天孫降臨の地は福岡県福岡市西区の「日向川」付近である。そこの「吉武高木遺跡」から『宮下文書』に記述されている通りの「大型建物跡(長井宮)」と「三種の神器」を埋葬した木棺が出土している。福岡市西区が天孫降臨の「筑紫の日向」である。また、「神武東征(逃亡)」も史実であり、「神話」ではない。
  2. 後漢時代の「倭国」は朝鮮半島南部にあった。日本列島にあったのではない。「倭国王帥升」は朝鮮半島の「倭王」である。「倭国(大)乱」は朝鮮半島南部の「倭国」の出来事である。
  3. 「220年~230年」頃、朝鮮半島の倭国は韓に侵略されて亡びる。卑弥呼は北部九州に逃げて来て伊都国王朝と戦い勝利する。「238年」に魏へ朝貢して「倭王」となる。日本列島に初めて「倭国」は誕生する。朝鮮半島の倭国の再興である。
  4. 日本史に「貴国」がない。神功皇后が樹立したのが「貴国」である。現在の日本史は欠陥の日本史である。
  5. 「4世紀~5世紀」に多くの渡来人が来る。これらの渡来人を「万世一系」の天皇に組み入れている。『古事記』『日本書紀』の「万世一系」は天武天皇による「捏造」である。
  6. 「倭の五王」は「筑紫君」である。日本列島を統一している。
  7. 「倭王武」は日本列島で初めて天子となり、年号を建てている。「年号」は「九州年号」から現在まで続いている。
  8. 「531年」の「磐井の乱」で物部麁鹿火は主君筑紫君(倭の五王)を伐ち、「物部麁鹿火王権」を樹立する。「538年」の「仏教伝来」は物部麁鹿火王権下での出来事である。
  9. 「552年」に物部尾輿は物部麁鹿火王権から王権を奪い、福岡県鞍手郡に「俀国(阿毎王権)」を樹立する。
  10. 『隋書』の「日出る処の天子」は「俀王多利思比孤」であり、「聖徳太子」ではない。
  11. 「591年」に上宮法皇は「肥前の飛鳥」に「上宮王権」を樹立する。
  12. 上宮王権の入り婿である「舒明天皇」は肥前の宮所に「百済大宮」「百済大寺」を建立する。今の佐賀県諸富町大堂である。息子の「中大兄(天智天皇)」は肥前南部で生まれ育っている。
    「645年」の「乙巳の変」は「肥前の飛鳥」での出来事である。
  13. 「635年」に「天武天皇の父」は「阿毎王権」の上に君臨して「天武王権」を筑前の宗像に樹立する。
    『日本書紀』は「天武天皇の父」を抹殺している。
  14. 「649年」に「上宮王権(皇極天皇)」は「天武天皇の父」に「王権」を剥奪される。「上宮王権(皇極、斉明天皇)」は「天武王権」の支配下に入る。「中大兄皇子」は「皇子」ではなくなる。「皇極紀」から「中大兄」になっている。
  15. 「656年」に「斉明」は「天武天皇の父」から逃れるために「肥前の飛鳥」から「大和の飛鳥」へ移る。
  16. 「661年」に「天武天皇の父」が崩御し、「天武天皇」が即位する。「663年」の「白村江の戦い」を戦ったのは「天武天皇」である。斉明や中大兄ではない。
  17. 「天智と天武」は兄弟ではない。「王権」が異なる。
  18. 「668年」に「中大兄」は「大和の飛鳥」から近江へ移り、「天智王権」を樹立する。
  19. 「672年」の「壬申の乱」は「天武王権」と「天智王権」の戦いである。
  20. 「高市皇子」は天武天皇の後に即位して「高市天皇」となっている。その子は「長屋親王」である。

上記の内容は、『新「日本の古代史」(下)』(平成29年7月1日発行)の巻末の「おわりに」のところで、まとめて述べているものと同じものです。

佃收著作集ホームページ作成委員会より

日本古代史は多くの謎に包まれています。よく言われている謎を10ほど書き並べてみます。

日本古代史の謎

  1. 天孫降臨の地はどこか。宮崎県か福岡県か・・・。どのような歴史的事実があって、天孫降臨の物語が生まれたのか。それとも、これは全くのフィクションなのか。
  2. 卑弥呼はどこから来たのか。邪馬台国はどこに在ったのか。
  3. 大和朝廷の祖とされる神武天皇は実在の人物なのか。実在だとすれば、どこを出発してどのような経路で大和に辿り着いたのか。
  4. 「宋書」倭国伝に記されている5世紀の倭の五王讃、珍、済、興、武は天皇であったのか。また、6世紀初めの磐井の乱の磐井は本当に大和朝廷の臣下であったのか。
  5. 「隋書」俀国伝に記されている俀王が隋の煬帝に国書を送っている。有名な「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」である。また、この「隋書」では「王の妻は雞弥と号し、後宮に六、七百人の女がいる・・・」とある。このときの天皇は本当に女帝の推古天皇で、書を送ったのは聖徳太子としていいのか。聖徳太子については、十七条の憲法を制定し、三経義疏を書いたとされるが、実在の人物なのか。
  6. 古代史で大きな影響力を持ったとされる蘇我氏や物部氏はどのような存在だったのか。
  7. 「大化の改新」は最近では「乙巳の変」と呼ばれている。朝鮮半島で起こったこととか九州で起こったこととかの説もある。本当に奈良で起こったことなのか。また、この時期から律令制度は本当に出発していったのか。
  8. 日本書紀が述べるように天智天皇と天武天皇は本当に兄弟なのか。天智天皇は天皇として大和を支配していた時期があったのか。あったとして、どのような理由で大津に遷都したのか。
  9. 万葉集に「日本紀」と「日本書紀」の両方の記載がある。両者は同じものであるとする解釈が一般的だが、本当に同じものとしていいのか。同じものなら、どのような理由で名前が違うのか。
  10. 奈良の法隆寺は670年に完全焼失したという記述が日本書紀にある。一方、法隆寺の五重塔の心柱に594年に伐採されたヒノキが使われている、と奈良国立文化財研究所が発表している。法隆寺は本当に焼失したのか。それとも日本書紀の記述は誤っているのか。

古田武彦氏の九州王朝説

このような謎に対して、多くの魅力的な書物が作家や研究者などによって著されてきました。その中でも、古田武彦氏は40年以上前に、様々な検討の結果、魏志倭人伝の邪馬台国は邪馬壹国であることを指摘するなど、日本の古代史の解明に大きな足跡を残されました。2010年ミネルヴァ書房から古田武彦古代史コレクションが発刊され、発刊のことばでは「・・・・古田氏を抜きにして、論争は成立しうるのか。・・・古田史学のこれまでの諸成果を・・・順次復刊刊行し、大方の読者にその正否をゆだねたいと思う。・・・」とある。

佃收氏の九州王権説-既存の古代史批判か古田批判かの二分法を超えて-

私たちは、次の2つの条件を満たす日本古代史を探していました。1つは古田武彦氏の提起した問題意識をしっかり受け留めていること、2つ目は三国志、後漢書、隋書、旧唐書などは言うに及ばず、契丹古伝、三国史記や桓檀古記などの中国や朝鮮の文献も調べるなどして、東アジア全体の歴史の流れの中で総合的に日本古代史を構成しているという条件です。

この条件を満たしているものに、ついに私たちは出会いました。佃收氏は、「古代史の提言」シリーズとして『新「日本の古代史」(上)』、『新「日本の古代史」(中)』、『新「日本の古代史」(下)』の3冊と「古代史の復元」シリーズ①~⑧の8冊を出版されています。作成委員会は、すべてに目を通して、大きな感激を得ました。佃收氏の著作は、日本の古文書はもちろん中国や朝鮮の古文献をも調べ、文献が指し示すことと古墳などの遺跡から出土する物的証拠などとを比較検討して、論を組み立てています。著者の想像力だけによる論考ではなく、常に判断する証拠を示し、歴史的事象の時と場所を特定しながら古代史の解明に取り組んでいます。

既存の日本古代史は記紀の内容と異なるものはほとんど認めないという立場に立ちます。これに対して、既存の日本古代史の矛盾点を鋭く指摘する古田武彦氏の論考からも、多くを学ぶことができました。例えば「九州年号」について、約半世紀前、古田氏は「九州年号」の重要性を指摘しました。これに対して、既存の古代史は「九州年号」を後世の偽作だという立場をとりました。既存の古代史の側と古田氏を支持する側の激しい論争が繰り広げられました。しかし、法隆寺金堂の釈迦三尊像の光背銘の「法興」や続日本紀の神亀元年冬十月条の記事での「白鳳」と「朱雀」、その他各地での古文書などからも、偽作ではなく、その時代に明らかに流布されていたものであることが確認できます。更に、偽作か本物かの論議を超えて、佃氏は『新「日本の古代史」(中)』、『新「日本の古代史」(下)』の中の「九州の王権」と年号(その一)~(その六)と題する文書によって、「九州年号」を導きの糸として、阿毎王権(俀国)、上宮王権、豊王権、天智王権、天武王権の姿を描き出し、6世紀、7世紀の日本の歴史の輪郭を見事に叙述しています。

隋書俀国(たいこく)伝 [既存の日本古代史では隋書倭国伝と呼ばれている] に出てくる俀王多利思北孤は既存の古代史では聖徳太子であるとします。これに対して、古田氏は、俀王多利思北孤は九州王朝の上宮法皇であるとしています。私達は両方の主張に疑問を持ちます。この他にも、古田氏が主張する歴史的事象の中には首を傾げざるを得ないようなことも多々あります。

既存の日本古代史が正しいか、古田氏の説が正しいかを論じることを超えて、新たな日本の古代史を構築していく時期に来ているのではないでしょうか。記紀だけを正しいと認めるのではなく、今まで偽書として排斥されてきた文献や、中国や朝鮮の文献、更には多くの蓄積されてきた物的資料なども参考にして新しい日本の古代史を作りださなければなりません。そう決意して、佃氏は「歴史の提言」シリーズの題名を『新「日本の古代史」』にしたと思われます。

有名な古田氏の九州王朝説とはまた別の九州王権説を展開される佃氏の著作は、このように日本古代史の解明に大きく寄与できる内容であると思われますが、一般にはほとんど知られていません。佃氏は佃收著作集ホームページ作成委員会の要請に応じて、出版したすべての本をホームページ上にアップロードすることに同意してくれました。作成委員会は、著作を紹介すると共に、多くの皆様に佃氏の詳細で緻密な論考に接していただくために、「古代史の提言」シリーズ『新「日本の古代史」(上)』、『新「日本の古代史」(中)』、『新「日本の古代史」(下)』の3冊と「古代史の復元」シリーズ①~⑧の8冊、計11冊の全文をpdfファイルでアップロードしました。

佃氏の著作に触れられた皆様が、新たな日本古代史の構築に向けて少しでも参考になることがありましたら、作成委員会としては大変幸甚に存じます。

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